「かぐや姫の物語」
ジブリがなんでいまさら昔話のかぐや姫?
なんか退屈しそうだなー、と公開当時は思い込んでいたが、
いざ試しに視聴すると、バカにできない見事な出来だった!
描かれてる動物や植物がやたらとリアルで生き生きさを感じさせ、
人間の動きが無駄なフィクションの動きもありながらもよく見ると細かく、
高畑監督十八番の登場人物が空飛ぶ演出。
それらが全体的な淡い色合いとも重なって、「となりの山田くん」の世界観が14年を経て復活したような気がした。
特に、かぐや姫が都の屋敷から飛び出して住んでた森へと駆け抜けるシーンは見もの。
絵の迫力と疾走感が一瞬も瞬きしたくないくらい凄まじい。
それと同様に加速ある動きの描写で言えば、5人の大臣が姫の屋敷に町を駆けるシーンもドタバタ感が緻密に描かれてて見応えある。
他に気に入ったポイントは、
女童(めのわらわ)がいい感じでナメてる仕草、半端者感が小動物っぽくてかわいい所。
そして最後の天からのお迎えの所。
和風の厳かな音楽かと思ったら、予想よりも民族音楽っぽい軽快な音楽で意表突かれたけど、あのメロディとリズム、結構好き。
またストーリーの内容からも、本当の「幸せ」ってなんだろうか、という本質的なことも考えさせてくれる。
おかげで、中学で学んだ竹取物語の古典の授業よりも楽しく学べた。
否、それよりも、つまらない古典の文や歴史背景をめちゃくちゃ学んで、多くの人に伝わりやすいようにアニメに落とし込んでくれたジブリには大変感謝したい。
メインテーマ(音楽)のセンチメンタルな感じが、かぐや姫の儚さ、ひいては我々の人生の儚さに通じて、ぐっと来るところがよい。
アゴが長くて、性格に難のある帝は、裕福でも不幸な人生を示唆し、捨丸にいちゃんとはたとえ妻子を捨てさせていっとき盛り上がっても、その後の生活感溢れる貧乏暮らしから、また別の人生の不幸を示唆させる。人間の暮らしでは、かぐや姫のような持てる者でも、一切皆苦であることが示されている。
サブタイトルである「姫の犯した罪と罰」が何かについては、いくつかレビューを読んでみたのですが、今一つしっくりこない。かぐや姫の罪は、涅槃に入ったかぐや姫が煩悩のある暮らしに興味を持ったこと、らしいのですが、もともとの仏教における涅槃は、そのように出入り自由なものという認識が私にはなく、かぐや姫は輪廻で、天に生まれただけではないのか? 涅槃と天を混同していないか? たとえ出入り自由だったとしても、なぜ人間の暮らしに興味を持つのが罪になるのか? というところが今一つわからず。誰かわかる方がいれば、教えてもらえないでしょうか。
余談ですが、プロデューサーの西村義明氏による「悲惨日誌」が圧巻。彼は高畑監督にこの映画の製作を引き受けてもらうために、週6日一日10時間一年以上高畑監督宅に通い詰めて説得にあたっていたとのこと。すごい仕事があったものだ・・・。
「かぐや姫の物語」
ジブリがなんでいまさら昔話のかぐや姫?
なんか退屈しそうだなー、と公開当時は思い込んでいたが、
いざ試しに視聴すると、バカにできない見事な出来だった!
描かれてる動物や植物がやたらとリアルで生き生きさを感じさせ、
人間の動きが無駄なフィクションの動きもありながらもよく見ると細かく、
高畑監督十八番の登場人物が空飛ぶ演出。
それらが全体的な淡い色合いとも重なって、「となりの山田くん」の世界観が14年を経て復活したような気がした。
特に、かぐや姫が都の屋敷から飛び出して住んでた森へと駆け抜けるシーンは見もの。
絵の迫力と疾走感が一瞬も瞬きしたくないくらい凄まじい。
それと同様に加速ある動きの描写で言えば、5人の大臣が姫の屋敷に町を駆けるシーンもドタバタ感が緻密に描かれてて見応えある。
他に気に入ったポイントは、
女童(めのわらわ)がいい感じでナメてる仕草、半端者感が小動物っぽくてかわいい所。
そして最後の天からのお迎えの所。
和風の厳かな音楽かと思ったら、予想よりも民族音楽っぽい軽快な音楽で意表突かれたけど、あのメロディとリズム、結構好き。
またストーリーの内容からも、本当の「幸せ」ってなんだろうか、という本質的なことも考えさせてくれる。
おかげで、中学で学んだ竹取物語の古典の授業よりも楽しく学べた。
否、それよりも、つまらない古典の文や歴史背景をめちゃくちゃ学んで、多くの人に伝わりやすいようにアニメに落とし込んでくれたジブリには大変感謝したい。