にほひたつ絵を極めるために裸一貫で毎日粛々と描いています。90sを楽しく生き直し中。🎨pixiv▶︎https://www.pixiv.net/users/54719281

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アニメ化決定のニュースが目に飛び込んできたとき(2020.9.16)は文字通り狂喜乱舞し、毎日のようにケイツビーについての萌え語りを聞いてくれている友達と喜びを分かち合った。

思い返せば仕事終わりにふらふらっと書店に立ち寄ったとき、哀しい眼をした褐色超絶イケメン(後にケイツビーと知る)と、凛々しく中性的な御顔立ちのショートヘアの主人公リチャード様が描かれた菅野文先生の直筆色紙、そして先生の画集『荊棘の棺』の表紙の強烈にファビュラスなインパクトに惹かれ、既出の単行本全巻と画集を大人買いした。これが薔薇王の葬列との出会いである。

翌日の仕事のことも忘れてドキドキしながら一気に読み進め、筆舌に尽くし難い苦しみを味わうリチャード様のあの決死の覚悟の名場面で幕を閉じる7巻を読んで「とんでもないものを読んでしまった」と溜め息まじりにつぶやいたその夜を、今でも鮮明に覚えている。

かくして薔薇王おじさんになったわたしは、単行本のケイツビーの出るシーンに付箋を貼りまくり、同僚や後輩に単行本を貸し出し、仲良くしてくださった絵描きさんや友人に布教しまくった。毎日昼食のときにケイツビーについて脈絡なく語るわたしの話を親切にも聞いてくれる同僚も、今では薔薇王沼に落ち、アニメ化の続報を血眼で待ち望んでいるソウルメイトである。

ここに書き連ねる言葉の数々はすべて「ケイツビー尊い」の一言に集約できるが、薔薇王の葬列に出会ってから今の今まで心にためてきた思いを、自分の振り返り用も兼ねて見える化していきたい。

 菅野先生の色紙で一目惚れしてワクワクしながら帰りの電車で1巻の裏表紙に目をやると、1巻のハイライト載ってて、そこに体格差のあるケイツビーが自傷行為をするリチャード様の手を取って抑止する場面があるのだけど、その時点の印象としては、従者さん最高だけどやっぱヘンリーとリチャード様が大本命なんだよなぁなんて思っていた。

ところが読んでいくうちに、ケイツビーのあまりの不遇さにどんどん判官贔屓というかものすごい声に出して応援したくなる感が湧き立ってきて、酒場での主語を伏せた告白シーンでケイツビー尊さがメーターを振り切って、10巻のあのとてつもない語彙力消失シーンを経て、完全にケイツビー尊い芸人が仕上がってしまったのである。

唐突だが、リチャード様の心の移り変わりを振り返りたい。
ヨークパパへの絶対的な愛
セシリーママからの虐待と愛情への憧れ
壮絶な父の死から無垢で無邪気な羊飼いになりきるヘンリーへの初めての恋を知る
アンちゃんの優しくて清く美しい人柄にほっこり
エドワード王子の一方的かつ純情な愛に振り回される
年少さんのバッキンガムからも身長抜かれても猛アプローチでセクシュアルな悪の華が開花
現れたティレルの存在とバッキンガム公の名前(=ヘンリー)で初恋大本命のヘンリーとの思い出をダブらせて心乱される
・・・と、とにかく心が揺らめいている。
王家の争いとか、自身の両性具有の身体のコンプレックスや苦悩、セシリーママからの虐待といった殺伐とした背景の中で、リチャード様の恋愛感情に注目するとどうやって人格形成されたのかがめちゃくちゃ美麗かつテンポ良く描かれている。

正直言えば、10巻のあの壮絶な「欲しい」のシーンまでは、あーもうリチャード様は誰とくっついても尊いわーとか癒されながら読んでたんだけど、ほぼケイツビーが主役になってる11巻〜現在に関してはケイツビーのことを考えると冗談抜きにして胸が締め付けられる。

前置きが大変長くなってしまって恐縮だが、とにかくケイツビーの魅力をより多くの方に認識いただきたくて、ハイライトになるシーンや、ケイツビーあるあるを羅列してコメントを添えたい。

・荒くれ者どもと同じ部屋で寝なければならない宿でケイツビーがリチャード様を守るために腕に抱いて眠りにつくシーン
→ファンの間では通称「壁」といわれる。

・森を駆けていたリチャード様が足を怪我されてケイツビーがお姫様抱っこするシーン
→わたしの中ではこれは、尊さのトリプルアクセルになってる。なぜかといえば、アンちゃんとのスケート遊びでアンちゃんにひざまずいて王子様のごとく接していたリチャード様が、あとでケイツビーにひざまずかれて足の手当てをされて、さらにお姫様抱っこされるという神展開となっているからである。このシーンでわたしはケイツビーの白いシャツになってリチャード様の足を包みたいと本当に本気で思った。

・いよいよヘンリーと決死の覚悟で結ばれようと決めたリチャード様に鬼の形相で立ちはだかるケイツビーのシーン
→ヘンリーに似た死体を用意してしまうケイツビーの手際の良さよ。冷静に考えて一番えげつないことしてるのはケイツビー。このときのケイツビーは、リチャード様の初恋を叶えてあげたいけどどうしてもそれが叶わない運命だから、ヘンリーとの関係を断ち切らせるためとはいえ最もリチャード様にとって残酷なことをしている。愛するからこそ残酷にならざるをえない。後に上司のヘイスティングスの首を跳ね飛ばすし、とにかく徹底した現場主義で、自ら手を汚せてしまう必殺仕事人ケイツビー。尊いが過ぎる。

・子エドワードちゃんなど子供たちに懐かれるママみとヘアメイクと演技力の高さ
→さすがリチャード様に添い寝したり雪だるまを作ったり髪を切ったりお洋服を着せてきただけあって、リチャード様のドレスアップやメイクだけではなく、自らも亡霊を演じて観た者を狂わすほどの怪演を見せるケイツビー。そして道を歩くだけでも子供たちに懐かれちゃうケイツビー。いいケイツビーってやつは子供に好かれちまうんだ。ケイツビーも歩けば子どもに出会う。

・みんなの知恵袋ケイツビー
→リチャード様のことで悩んだ時に真っ先にみんなが声をかけるのはケイツビー。
鬼の形相でつっぱねられちゃうけど、バッキンガム公もリチャード様のお身体の秘密を探りたいときにケイツビーに質問したし、アンちゃんがリチャード様との夫婦仲がうまくいかないときに相談したのもケイツビー。そして尊いの天元突破したのは、子エドワードちゃん(赤薔薇ランカスターのエドワード王子とアンちゃんとの間の子供)が泣きながらケイツビーに思い悩んでることを打ち明けるシーン。わたしこれ本誌で見た翌日、同僚との昼食で延々と萌え語りました。(いつも聞いてくれてありがとうございます。)

名場面が数え切れないほどあるし言ってしまえば全話が神回な薔薇王。ケイツビーはお世話係で腹心といった立場だし恋愛関係にないので、ヘンリーやバッキンガム公よりどうしても急接近展開にならないもどかしさはあるが、肝心なところで必ずリチャード様を助け、するべき仕事を期待以上にやってのけ、奢り昂らず、常にハンサムでクールな騎士様として24時間365日リチャード様尊いを貫く不器用な愛すべき男なのである。

そんなケイツビー、敢えて他作品の推しキャラクターで連想するならば、
・寡黙で実直で主君がどんなにトラウマやコンプレックスに苦しもうとひたすら献身的に尽くして支えて愛するその不器用な姿は、囀る鳥は羽ばたかないの百目鬼さん
・リチャード様とバッキンガム公が身体を重ねる天蓋の外で神妙な面持ちでケイツビーがずっと仁王立ちして警護するその姿は、紺青の拳の園子の病室前でずーっと「待て」されてる京極さん
とにかく一途で不器用だけど、するべき仕事は徹底的にやり通す最高な男である。

延々と語っていたいが、いったんまとめに入りたい。でも最後にケイツビーもどかしい問題について語りたい。
「ケイツビーなんでリチャード様を黙って見守るだけなん?!もっとグイグイいったらええやん!!行動で示さな伝わらへんで!!思い切って一発口付けしてみようや!!」とか思ったときもあった(今でもしばしば思ってる)けど、そんな簡単に思いを伝えられるわけないのだ。それはなぜか。
まずケイツビー自身の生い立ちを見れば、孤児で移民とのハーフで、マイノリティな立場だから、他人との関わり方とかで小さい時から言葉にできない苦労を重ねてきたと思う。そしてヨーク公と出会い、リチャード様のお世話係を仰せつかってから、主と従者という越えられない壁がありながらも、家族のような距離感でリチャード様をずっと傍で支えてきた。
ケイツビーの片思い歴=リチャード様の年齢であり、昭和の終わりから令和まで誰かを1人徹底的に愛し抜き尽くせますかっていうレベルの時間感覚である。そんなリチャード様に好きとか愛してるとなそんなやすやすと言葉にできるような感情はとっくに超えてて、もうそれはアガペーの域に達してると思う。神のようなリチャード様という存在にカジュアルに自分の想いなんて伝えられるわけがない。
少し話は脱線するが、主従といえばベルばらのオスカル様とアンドレも主従関係で、2人の場合は最期の最期でお互いアラサーにして初めて結ばれるけど、アンドレのほうがオスカル様にカジュアルに接してるのは性格の違いもあれど、血縁の家族が側にいるってところは大きいと思う・・・。言いたいことをフィルター通さず言っても気まずくならない間柄のひとが近くにいると、人格形成に大きく影響すると思う。でもケイツビーの場合は家族なんていなくて、肌と髪で一目でよそ者扱いを受けてしまうという立場できっとたくさん、とても苦しいこともあっただろうけど、ヨーク公に出会えて自分の居場所をみつけて幼いながらに精一杯、真面目に仕事してきて、10歳にして出会った赤ちゃんのリチャード様を育ててきたという立場だから、カジュアルにリチャード様に接するなんて考えられないんだよな。冗談抜きにケイツビーに至っては毎日が『アンドレ 青いレモン』状態(ベルばらアニメ28話の神回です。死ぬまでに1回は観たいアニメとしてこちらも全力でおすすめしたい。)その前提でケイツビーに思いを馳せたら胸が苦しくてくるしくて11巻とか手が震えて目が涙でぼやけてフラットな気持ちで読めない。本当に。
ケイツビーも一人前の立派な男だしあれだけ屈強な身体なんだから、それなりに性的欲求とかもあったと思うけどもうそこは鉄の心で抑えてるんじゃないかと思うし、もはや聖人すぎてそういう劣情とかすら湧かないじゃないかなとか思っちゃう。
とにかくありとあらゆる感情をリチャード様に対して感じていて、その深さも重みも比べものにならないほどなのに、言葉に出せないが故にどうしてもリチャード様にはいまいち届いていない。ケイツビー尊い芸人はこの行き場の無い悲しさを同僚に語るが、同僚の回答はこうだった。
「ケイツビーがもしリチャード様に簡単に思いを伝えちゃったらケイツビーらしくない。リチャード様への思いは語らず墓場までもっていく覚悟だよ、きっと。」
・・・たしかにそうだ。ケイツビーをケイツビーたらしめるのは、抱える思いをなかなか伝えられないというもどかしさ、不器用さなのだ。

それでも。それでも、わたしは期待してしまう、いつの日かケイツビーの想いがリチャード様のこころに届くことを。それはきっとリチャード様が最後の戦いに敗れるとき、その両性具有の身体の秘密が白日の下に晒されるその最期のときに、リチャード様の骸を身を呈して守るのはケイツビーであると。天に行こうとも地獄の果てに行こうとも、ケイツビーは永遠にリチャード様の傍にいるのだと思う。

ここまで読んでくださってありがとうございました。少しでもケイツビーの魅力を認識していただけると幸いです。

かりあげクンに出会ったのは2020年の秋頃になる。主人公かりあげ正太の担当声優をされた塩屋翼さんが大好きで、軽い気持ちで1話を公式Youtubeチャンネルで視聴したことがきっかけだった。

4頭身で可愛らしいキャラクターデザインだが、内容はダークユーモアとほのぼのギャグと日常系のネタが満載で大人向けであり、謎の中毒性があるOP曲『夜の銀ギツネとタヌキ』そしてED曲『かりあげクンのかりあげ一日』が脳内無限ループし、2話以降も観たくて観たくてしょうがない気持ちになった。

主人公のかりあげ正太はポーカーフェイスで軽犯罪ギリギリ(令和の時代では一発アウト)のイラズラを淡々と行い、周囲は痛い目に遭うが、脇役たちもなかなかの個性的なキャラクターであり、こんなに面白いアニメが30年以上前に放送されていたんだと感動した。わたしはかりあげクンの放送時は未だ生まれていなかったが、かりあげクン自身と同世代になって、同じ目線で見て最高に推せると思った。2話〜最終話まで映像レンタルしたが、期限切れしてもまた何度も観たくなってしまい、思い切ってDVD BOXを購入した。人生最高の買い物の一つになったと言っても過言ではない。

万年平社員で会社のお荷物、意識高い系の真逆を生きるひねくれ者で、もし現実に彼が同僚にいたら、即刻クビか異動になるほどの問題社員である。だが、わたしはアニメと単行本を読んでかりあげクンの底知れなさを尊いと感じた。悪名高い彼だが、意外にもスポーツができるし、手先が器用、料理の腕もプロ級、動物や子供に懐かれる、そして女性には優しく、周囲をよく観察して果敢にいたずらを仕掛けるかりあげクン。いいハンターになる素質が充分すぎるほどある、稀有な存在なのである。

尖りまくったネタでギャグもシュールなので、きっと再放送されることは難しいかもしれないが、いつの日にかリバイバルしてほしいと本気で推している作品である。昨年冬に『ほんにゃらゴッコ かりあげクン』は40周年を迎えられ、今もなお年間1,000本以上の4コマを生み出し続けられている原作者、植田まさし先生を心からリスペクトしています。